安倍晋三元内閣総理大臣 追悼

2022年7月

安倍晋三元内閣総理大臣

享年67歳

謹んで哀悼の意を表します

1954年9月21日、安倍晋太郎さんと妻洋子さんの次男として生を受けました。

先月14日には、洋子さんの94歳の誕生日を迎え、お祝いをしています。

1977年に成蹊大学法学部政治学科を卒業、1979年に神戸製鋼所に入社し3年間勤務します。

1982年から晋太郎さんの秘書官を務めた後、1991年に急死した晋太郎さんの地盤を引継ぎ、1991年の第40回衆議院議員総選挙で出馬、初当選を果たしました。

再三言われているように、岸田文雄総理、高市早苗政調会長は同期当選組です。

2000年の第2次森内閣で内閣官房副長官に就任。

2001年4月に発足した第1次小泉内閣でも再任され、当時の小泉純一郎総理大臣による北朝鮮訪問に随行し、拉致被害者5人の帰国を実現しました。

一時帰国とされた被害者の方々を、日本にとどめるべきだと主張したのは安倍元総理で、その後も拉致被害者問題に積極的に取り組んできました。

小泉純一郎元総理の後押しで、2003年9月、49歳の若さで自民党幹事長に就任、当時は閣僚及び党の要職も未経験だったためサプライズ人事と話題となりました。

2005年10月31日に発足した第3次小泉内閣で内閣官房長官として初入閣。

2006年9月20日、1度目の内閣総理大臣に就任、当時はまだ52歳で、戦後最年少の総理大臣として期待されました。

当時示した国家像は、「世界に開かれた『美しい国』日本」というものでした。

安倍元総理は「戦後レジームからの脱却」をスローガンに掲げ、制定以来初めてとなる教育基本法の改正を行なうなど教育改革に取り組むとともに、防衛庁を防衛省に格上げし、日本版NSC(国家安全保障会議)の設置など、外交、安全保障体制の見直しに取り組んできました。

また、就任直後から憲法改正にも言及しています。

安倍元総理は拉致被害者問題に力を注ぎながらも、北朝鮮には決して妥協をしないという強いスタンスだったと言われ、2006年10月に北朝鮮が核実験を行なった際も、すぐさま独自制裁を強化、その素早い対応は国際的にも評価されました。

ところが、閣僚の不祥事などが相次いで2007年の参院選挙で大敗。

自民党内部でも「安倍おろし」が起こるとともに体調不良を訴えはじめ、2007年9月26日、第1次安倍内閣は1年という短命で終りました。

この辞任劇は、辞任表明の2日前に行なわれた所信表明演説で職責を全うする旨の決意表明をしたばかりだったことで「サプライズ辞職」と、与野党、マスコミからも強く批判されました。

後に安倍元総理は、特定疾患(今は指定難病)の「潰瘍性大腸炎」だったことを明かし、首相の職責を果たすのは不可能と判断せざるを得なかったと、謝罪の弁を述べています。

安倍元総理の体調が回復し、再び自民党の総裁に選出されたのが2012年9月26日。

その年の12月16日の第46回衆議院選挙で自民党が圧勝し、3年続いた悪夢の(旧)民主党政権から政権与党の座を奪還しました。

ただ、安倍元総理が所属していた派閥「清和会」の当時の会長だった故町村信孝氏と総裁選で争うことになってしまったことから清和会を離脱、総理大臣を辞するまで、無派閥を貫いています。

安倍元総理を追って脱会した高市政調会長は今も無派閥、安倍派となった清和会へ復帰も近いと思っていましたが、これで分からなくなってしまいました。

第2次安倍内閣が発足してすぐ、大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略の三本の矢「アベノミクス」を提唱、この「アベノミクス」は新語・流行語大賞にもノミネートされました。

旧民主党にボロボロにされた日本経済を立て直すべく2%のインフレターゲットを設定し、「独立性」とうるさく言われる日本銀行と安倍政権が、異例にも共同声明を出し、今も続く大幅な金融緩和措置に舵を切ったのはこの時です。

リーマンショック、東日本大震災の影響もあり、2012年12月当時9000円台だった日経平均株価は、一時は30000円を超え、今でも26000円前後で推移しています。

また、2013年の参院選でも自民・公明両党の政権与党が過半数を確保してねじれ状態を解消、安定した政権基盤を確保しました。

内政では、2014年、2019年と二度にわたる消費税率の引上げを行ないましたが、景気は次第に回復、外国人観光客の誘致に力を入れたり、総裁選で争った石破茂氏を地方創生特命大臣に据えたりするなど、地方経済の活性化にも尽力していました。

また雇用対策にも力を注ぎ、2019年4月時点において、全都道府県で有効求人倍率が1倍を超えるという状況にまでもっていきました。

アベノミクスは経済界からも支持されるとともに、最低賃金の引上げ、雇用環境の改善など労働者側にも恩恵はおよび、日本労働組合総連合会(連合)が自民党寄りにシフトしていることも、安倍政権の影響によるものです。

そして、東京五輪の誘致にも力を入れ、東京招致委員会の最高顧問に就任、経済界だけでなくスポーツ界でも、安倍元総理は大きな存在感を示していました。

新型コロナ感染症により東京五輪は1年延期、無観客での開催など、判断の難しい局面でしたが、終ってみれば、優れた防疫体制が国際的にも大きな評価を得ることに繋がりました。

そういえば、2016年のリオデジャネイロ五輪閉会式で登場した「安倍マリオ」は、別の意味で世界に存在感をアピールしていたようにも感じます。

適度なユーモア性も兼ね備えた政治家だったとも言えますが、本人の失言や不正疑惑が取り上げられることはほとんどありませんでした。

森友・加計学園問題への安倍元総理の関与が認められなかったにもかかわらず、マスコミを含む反安倍勢力が、その問題を取り上げ続けたのは、「別の批判材料がなかった」ことの裏返し。

政治家の矜持すら失った野党陣営が、根拠のない誹謗中傷をするしかないほど、安倍元総理は「つけいる隙のない政治家だった」と言えます。

ただ、安倍元総理がもっとも評価されたのは、外交手腕。

それは安倍元総理の危機感、そして日本人としての矜持、イデオロギーなど確固たる信念と理想、俯瞰された世界観、そしてそれを実現するための戦略と実行力を持つ政治家だったからです。

安倍元総理が力を入れたのは、日米同盟の強化とともに、先の戦争における両国のわだかまりの清算。

G7伊勢志摩サミットの際、核兵器の廃絶を語るオバマ元大統領による現役米大統領初の広島訪問を実現するとともに、自身は真珠湾に足を運び、新しい戦後の日米関係を作っていこうと考えていました。

また同時に、経済・軍事の両面で、米国の弱体化と中国の台頭を強く認識していました。

だからこそ、形骸化していた日本の集団的自衛権の法的解釈を最低限使える形に修正し、日米間の結びつきを強くすることで、アジア圏に対する米国のプライオリティーを高めようとしています。

安倍元総理が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」というスローガンを、最近では当然のように米国防相および米軍が使い、「台湾海峡」を含む台湾情勢に米国の目が向けられている今の状況は、ひとえに安倍元総理が作り出したと言えるでしょう。

当然、CPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の米国加入を日本が強く望んでいるのも、同様の意味を包含しています。

安倍元総理がトランプ氏の米大統領就任前に、トランプタワーに電撃訪問して個人的な関係を築いたこと。

トランプ氏の弔電にも表われていますが、相撲観戦やゴルフなど、二人の親密な間柄が語られながら出てくる多くの写真は、涙を流さずには見ていられません。

国家首脳同士、当然二人の間には自動車関税などの身を削るような交渉、米国兵器購入などのギブアンドテイクもありますが、二人の信頼感を示すような出来事も多くありました。

この写真は、2018年6月、カナダのシャルルボワで開かれたG7サミットのものです。

当時のトランプ政権による鉄鋼・アルミニウムの高関税措置をめぐり、米国側とEU側が激しく対立、トランプ元大統領は途中で退席したと言われています。

首脳宣言も取りまとめられないとみられていましたが、結局トランプ氏は「シンゾーに任せる」と一任、安倍元総理でなければ共同声明は採択されないG7サミットで終るところでした。

この写真は、G7の中でも「仲裁役になることができる貴重な存在」としての、安倍元総理の国際的な立ち位置を示しているともいえます。

一方で、アジア圏における安全保障は日本主体で進めなければならないとの思いも強く、中国、ロシアとの平和的な関係性を「外交」で築こうとしていました。

安倍元総理が、第1次安倍内閣初の外遊先として中国と韓国を選んだことにも表われています。

初外遊で当時の中国胡錦濤国家主席を訪問したのは安倍元総理が初めてで、続いて韓国の盧武鉉大統領と会談したのも、宮澤喜一元総理以来のことでした。

中国とは、2010年9月、尖閣諸島付近で違法操業中だった中国漁船が、日本の海上保安庁の船舶に体当たりした「尖閣諸島中国漁船衝突事件」、2012年の「尖閣諸島の国有化」など、日中関係は極度に冷え込んでいました。

賛否両論はありましたが、安倍元総理は習近平国家主席を国賓として迎える意向を示すなど、アジア圏の平和安定のためには、良好な日中関係が必要だと考えていたのでしょう。

これはロシアとの関係も同様で、安倍元総理はプーチン大統領を「ウラジミール」とファーストネームで呼び、経済協力関係を積極的に推し進めることで、北方領土の返還はもとより、ロシアを国際的に孤立化させないように気を配っていました。

安倍元総理にプーチン大統領は、「NATO」について相談していたとも言われています。

そして韓国。

安倍元総理の逝去に対する韓国人のコメントは見るに堪えませんが、先ほど述べたように韓国は安倍元総理の初外遊先。

そして2015年、当時の朴槿恵大統領との間で、日韓間の慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した「日韓合意」を成立させています。

それまでの日本政府による対応を修正することなく結んだ日韓合意は、日本国内から批判が出ることも十分に理解をした上で、韓国との良好な関係が、拉致被害者問題の解決、対中政策のためには必要だと現実的に考えた結果なのでしょう。

一貫した信念と理想を抱きながらも、徹底したリアリストだったとも言えます。

親中、親露、親韓と言われる側面があるというのも、このリアリズムが際立つからかもしれません。

そして拉致被害者問題を抱える北朝鮮に対しても、硬軟両面の対応をしています。

トランプ元大統領と金正恩国家主席が急速に距離を縮める中、「信頼しすぎるな」と釘を刺す一方で、「(拉致被害者問題の解決を前提に)北朝鮮が正しい道を歩むのであれば、北朝鮮との国交を正常化し、経済協力を行なう用意がある」と言及。

北朝鮮の豊富な資源と勤勉な労働力があれば、「明るい未来を描くことが可能だ」と水を向けながら、それが為されなければ一切の経済制裁を緩めるつもりはないとの立場を明確にしています。

つまり、どこぞの野党のように口だけではなく、「外交による平和なインド太平洋地域」を本気で目指していた人だと言えます。

英国、EU、インド、台湾、ASEAN諸国とも関係を深めるだけではなく、イランにも電撃訪問したように、世界情勢を見据えて、これだけ日本の影響力、存在感を示した功績は計り知れません。

バイデン大統領は「日本国民だけでなく世界にとっての損失だ」と語り、トランプ氏も「どれほど偉大なリーダーだったかは歴史が語ることになる」「彼のような人は二度と現れない」と述べています。

世界中の首脳からの追悼メッセージは、あまりにも胸が苦しくなり、動画にすることはできません。

昭恵夫人とは1987年6月9日に結婚。

安倍元総理の夢は実は映画制作だったと語った昭恵夫人。

安倍元総理が政界を引退した後、二人で一緒に映画を制作したいと語った当時の取材の様子を、NEWSポストセブンは記事にしています。

世界を舞台に、政治家として主役を務めてきた日本の元内閣総理大臣安倍晋三さん。

これからは遺志を引き継ぐ私たちが主役となり、日本という世界を創りあげていく番です。

天国から監督として見守っていてくださいね。

いままでありがとう、愛国の人。決して貴方のことは忘れません。

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