2019/04/25
今日は「旧優生保護法の被害者への救済法が成立」について話していきたいと思います。
旧優生保護法の成立
戦前は兵士を殖やすべく人工中絶を禁止する堕胎罪が厳しく適用され、女性には産まない選択肢はありませんでした。戦後、人口増加が問題となり、隠れて行われる堕胎による女性への健康被害、人口抑制政策の観点から1948年に不妊手術や中絶を認める法案が成立しました。
母子保護法への改組
旧優生保護法は1996年に「母胎保護法」へ改組されました。母体保護法では、母性の生命健康を保護する目的で不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定め、女性の生まない権利を認めています。
旧優生保護法の問題点
旧優生保護法の最大の問題点は「優生学」的思想、かつ障害者などを強制断種することができるという点でした。それが今問題になっている「強制不妊手術」で被害者は判っているだけでも1万6千人を超えるといわれています。優生学は旧ナチス政権による人種政策の基本思想となりました。
強制不妊救済法の成立
不妊手術を強制されるなどした被害者の救済法「強制不妊救済法」が24日に成立しました。手術に同意した人などを含め幅広く救済対象とする内容になっていて、被害者には一時金として320万円が支給されることになりました。また安倍首相が談話で「おわび」しましたが、国の責任や旧法の違憲性には触れませんでした。
旧優生保護法の意味
中絶を合法化した意味のある法律だったと感じる人もいるかもしれませんが、女性を人口政策、優生政策のための道具と考えた法律だったわけです。さらに優生思想を日本が容認した歴史は「津久井やまゆり園殺傷事件」など障害者に対する根強い差別を産んでしまいました。強制不妊手術は1992年の記録が残っているなど、人権を無視する行為が最近まで行われていたことに驚きます。現在を生きる私たちは過去の過ちを知るとともに、同じような過ちを犯さないように日々心がけなければいけません。
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